●日本初演のアメリカ大衆芸能 の左の地図上に配したのは1854年、ペリー黒船2度目の来航の際、日本各地で演奏された「ミンストレル・ショー」の当日配られたプログラム。また、この6ページに転載したのは横浜公演を描いた黒船絵巻のミンストレル・ショーの錦絵です。  

ミンストレル・ショーは当時アメリカで大人気だった最新のエンタテイメントでオペラのバーレスクのような喜劇でした。
これは記録に残る日本で初めて披露されたアメリカ大衆芸能で、アメリカからの西洋音楽の演劇、コメディ、漫談、ダンス、合唱、各楽器(バンジョー、ギター、バイオリン、フルート、タンバリン、トライアングル等)の日本初演でもあります。
 ミンストレル・ショーは白人が顔を黒く塗り、当時の南部の奴隷の黒人の風習や北部に進出していた黒人を風刺して黒人言語で面白おかしく歌われました。
 横濱では日米和親条約の4日前にペリーは黒船ポーハタン号に日本の役人約70名を招き、肉料理やワインなど最高のもてなしをした後にそれは披露されました。これを見たアメリカの船員や日本の役人達は大笑いして役人の松崎満太郎などはペリーの肩に手を回して 「アメリカ人も日本人も心は一つ」とペリーの腕章をつぶしたとの記述が残っています。  これらのことは笠原潔(放送大学教授)『黒船来航と音楽』(山川出版)に詳しく書かれています。(残念ながら笠原先生は2008年、若くして他界されました)   ミンストレルスタイルのショーを演じていたのは専門のミンストレル芸人ではなく、船員達だと言われています。果たしてアマチュアの船員達にこのような完璧なスタイルのミンストレル・ショーが出来たのか疑問でした。
 この本に出会った10年前何気なくネットで楽曲を検索してみるとすぐにアメリカの議会図書館のホームページに当時のミンストレルソングのピアノ楽譜が見つかりました。それらを当時の編成で再現したくなりメンバーを募りコンサートを企画しました。 しかし横濱公演の全12曲中見つかった譜面は半分ほどでした。  バンジョーは南部の黒人が弾いていた楽器を真似てこのミンストレル芸の為に作られた当時の最新の楽器でした。 バージニアミンストレルズのJoel Walker Sweeney(ジュエル ウォーカー スゥイニー) が作った楽器といわれています。横濱の演奏曲の「Old Tar River」はこのスゥイニー作のものです。

●横濱バンジョー祭りを開催  

私は1854年を横濱バンジョー伝来元年とし、150年後の2004年から毎年春にこの地で「横濱バンジョー祭り」を開催してきました。今年で10回目を迎えます。
 この10年アメリカではミンストレルバンジョーのSNSサイトも誕生したり、そのメンバーが当時印刷されたミンストレルバンジョー譜を演奏してすべてyoutubeで公表したり、いくつかの図書館でミンストレルの資料がネットでも公開されるようになってきました。  しかし「Sally Weaver」と「Canal Boys」の2曲はメロディすら分かりませんでした。  今年に入りミンストレルバンジョーSNSサイト で知った1848年49年「Ethiopian Glee Book」をアメリカの図書館のサイトで見つけました。 これは当時最も流行っていたクリスティーミンストレルズの歌集で4部コーラスの合唱譜も記載されています。  この中に一曲目の「Picayune Butler」*9 の譜面を見つけ、他の曲も調べたところ、不明の2曲と思われる楽曲が見つかりました。 これ等はタイトルではなくSally Weaverは題名の短縮した呼び名でCanal Boysは連呼する歌詞の一部でした。   しかも横濱で演奏された12曲中、7曲もそこに含まれていました。  さらにこの本と同じシリーズでミンストレル用のバンジョー教本、バイオリン教本、フルート教本も出版されていました。   もしこの教本で船員達が演奏やコーラスを習得したとするならば、ミンストレルではあまり使われないフルートが使用されていた事も納得できます。
 ペリーの航海日誌には「彼らはクリスティーの様に上手く披露した」との内容が記載されています。  これを出版販売していたのはELIAS HOWE(エリアス ハウ) *14 という人物で、ミシンの発明でも有名な方で、当時シンガーがその版権を買い大量生産していました。
 黒船来航時ペリーは徳川幕府にミシンを献上したのは有名な話です。篤姫が使用したと言われています。  何か点と点が線で繋がったようで驚くばかりです。  
これらの教本を使えば、仮説ではありますが、アマチュア楽団が演奏した黒船ミンストレル・ショーの完璧な楽曲の再現ができるのではないかと思いました。

●音楽と笑いで開かれた日本の夜明け  

横濱公演の一曲目”PICAYUNE BUTLER" の当時の原譜の歌詞に次のような部分があります。  " piccayune butler come to town! Ahoo Ahoo AhooAhooAhoo"  顔を黒塗りで派手な衣装を着た日本語の解らないアメリカ人が、いきなり一曲目で日本人が今まで聴いた事のない綺麗な男性4部合唱で”阿呆 阿呆 阿呆 阿呆 阿呆” と聞こえたとしたら当時の武士はどんな気持ちになるでしょうか?その後、歌い飛び跳ね、女装までしたこの滑稽なショー。日本側の代表で厳格な林大学頭さえも笑いを堪えるのに必死だったとペリーは伝えています。
 70名の日本の役人中にはその後、開国派に向かう者もいれば攘夷派もいました。当時の役人にその後どのような印象や思想を与えたのでしょうか? この翌日ペリー一行は武器を持たずに上陸したと伝えられています。 如何に前夜の宴がアメリカ人の気を許した一夜であったかを物語る事実です。 ペリーのミンストレル・ショーはその後、函館(5/29)、下田(6/16)、那覇(7/14)と4公演を行っており。演目も練りに練られ、行く先々で新曲を披露しています。
 今回は私自身も初の試みで各地で演奏された演目をこの4都市を回り、可能な限り再現していく一大プロジェクトを実行いたします。
音楽と笑いで開かれた日本の夜明け、知られざる開国の歴史を、日米交流160周年を迎える今年、改めて今解る事実を元に再現するコンサートで ぜひ皆さんの目で見ていただきたく思います。ご期待ください。

原さとし/はらさとし 1995年、初の日本人によるバンジョー教則ビデオを発売するなど国内のバンジョーの第一人者として活躍。 NHK教育(現Eテレ)「さわやか3組」「中学生日記」など出演。 2000年文化庁芸術祭演劇部門大賞受賞作品「怒りの葡萄」の楽器演奏指導 2004年自主企画として「ペリー横浜来航150周年記念」を開催、外務省・横浜市後援の「日米交流150年式典」では、小泉首相、ベーカー元駐日大使、中田横浜市長の前で記念講演を行う。 2009年日米和親バンジョー祭り@横浜開港記念会館を主宰。